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2015年10月16日

奥の細道 始まりはどこ?

奥の細道の始まりはどこかで論争だとか?


奥の細道の始まり論争


 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を始めた地点をめぐって、東京都足立区と荒川区が熱い論争を繰り広げています。
隅田川にかかる千住大橋周辺とされるが、はっきりとした記録はないのです。
どっちが「本家」なのでしょうか?


 「奥の細道」によると、旅立ちは1689年3月27日です。
江戸・深川から船に乗って隅田川を北上、「千住といふ所にて船をあが」り、そこで「矢立て初めの句」として知られる「行春(ゆくはる)や 鳥啼(なき) 魚の目は泪(なみだ)」を詠んだとされています。


ただ、川の北側にある足立区・北千住か、それとも荒川区・南千住なのかの記述はないのです。


まあ、どちらでも大したことはないと思うのですが、あの松尾芭蕉の奥の細道の出発点だから、観光名所としては魅力的なのでしょう。

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ただ、問題は出発点ではなく、どのようにして俳句の心や旅の哀愁、旅情を偲ぶかということではないのかと・・。


その点、四国八十八ヶ所の巡礼は1番札所の徳島県霊山寺からとはっきりしています。
もちろん、1番から回る必要はありません。
空海さんを偲んで四国の山道を同業二人として巡礼するのが優先するのです。


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ラベル:奥の細道
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2015年08月16日

中陰

中陰とは、人の死後七七、四十九日の期間を現す仏教行事です。


死後七日ごとに経を読んで、七回目を満中陰として追善法要を営むのが習慣ですね。
これは、死者の魂がその期間、家の軒を離れない、亡霊が迷っている期間であると言われるからです。


それを信じるかどうかは別にして、中陰の仏事はある程度浸透しています。


但し、仏教界の高僧は中陰を否定します。つまり、仏陀の教えには中陰などないのです。
ここが仏教のややこしいところかもしれませんが、私たちには近親縁者の死を納得するために中陰という観念が必要なのかもしれません。
それはこの世とあの世との境でもあり、気持ちの区切りでもあるのです。


但し、人の死を受け入れるというのは突然のことで有ればある程難しく、若くしてこの世を去られた場合なども尚更のことです。


だから、四国八十八か所の巡礼などが気持ちを落ち着け安らぎを与えてくれるとともに、人の死についてもじっくりと考える時間を与えてくれるのです。
それは、この世を生きていくためのルートの一つなのかもしれません・・。


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ラベル:中陰
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2015年05月08日

四国八十八か所の巡礼の心得

四国八十八か所の巡礼の心得について整理しておきましょう。


もちろん巡礼そのものには特定の決まりがあるわけではありません。
白衣に菅笠と金剛杖というのが一般的ないでたちです
笠と杖には同行二人とあり、たとえ一人でもいつも弘法大師がそばにいて、共に巡礼の旅をしているという意味です。


平安時代の旅は修行僧たちの修練と荒行の旅だったと思います。
今では、歩き遍路の方もおられるのですが、車を利用しての巡礼が主流でしょうか。
総延長1400Kmもの旅ですから、景色と共に郷土料理や温泉も楽しみたいものです。


ところで、昔からの巡礼の心得とかルール的なものがあります。
あくまで常識の範囲内ですが、生きていく基本的なものでもあります。


十善戒

1.殺生をしてはならない
2.盗みをしてはならない
3.淫らなことをしてはならない
4.偽りを言ってはならない
5.言葉に虚飾があってはならない
6.悪口を言ってはならない
7.二枚舌を使ってはならない
8.強欲であってはならない
9.怒ってはならない
10.よこしまな考えはいけない


三信条

1.弘法大師と共に巡拝し大師の救済を信じること
2.旅そのものが修行である。心安らかに過ごすこと。
3.現世利益とは仏によって、この世で救済されることであり、お金が儲かることではない。
  煩悩を消し去り、悟りを目指すこと。


まるっきり当たり前のことでも、日々の喧騒にまみれていては考える暇もないことです。
旅の中にいて、己の時間を取り戻し、いろいろと瞑想をしてみることは素晴らしい体験になることでしょう。



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2015年04月19日

四苦八苦

四苦八苦とはお釈迦様の説かれた仏教の本質を語る言葉になります。


商売がうまくいかずに資金繰りに追われたとか、受験勉強で四苦八苦したなど、様々な苦しみを味わった時などに
よく使われます。


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四苦とは何でしょうか?


まず、生苦です。
この世に生まれたという事実そのものが抱える苦で、生まれた時代や環境、自分自身なども選びようがない境遇に投げ出された
ことの苦しみが生苦です。


次に老苦です。
生きていれば必ず老いを迎えます。
足腰が不自由になって寝たきりになったり、最近では認知症も他人ごとではありません。
体力的にもメンタル面でも若さを失っていくのが老苦です。


次は病苦です。
生きていれば病気と無縁ではいられません。
いくら健康な人でも、やがては何らかの病気を抱えて人生を終えることになります。


最後が死苦です。
生きているものは全て、やがて死に至ります。
人生のすべてが失われていくのが死苦であります。
これら四つの苦しみを四苦といいます。


この四つに加えて、愛するものと別れる愛別離苦(あいべつりく)、憎しみの多いものとかかわって生きる怨憎会苦(おんぞうえく)、求めても求めても欲しいものが得られない求不得苦(ぐふとくく)、身も心も休むことなく欲望に駆り立てられる五蘊盛苦(ごうんじょうく)を合わせて八苦といいます。
どれもなかなか手ごわい苦しみですね・・。


だから人は、こうした苦悩を嫌って、若さ、健康、生を求めるのです
そして、健康で長生きし、死ぬときは周りに迷惑をかけずにコロリと逝く、いわゆるピンピンコロリを目指すのです。


ただ、こうした苦しみを排除する生き方、苦しみから目をそらす価値観や幸福感は如何なものでしょう・・。
生きることは苦しみである、なんて考えれば人生は無意味に思えてくるものです。


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しかし、お釈迦様の教えはそんなところにはありません
仏教とは、人生で担い克服すべき根本課題を教えてくれるものです。
そして、出会うべき如来の本願を開いてくださるものです。


四苦八苦の苦悩があればこそ、浄土という未来の扉が開けるのです。
浄土への道しるべという観点からは、人生の苦悩も意味があるのかもしれません。


ラベル:四苦八苦
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2015年03月24日

親の供養は自分を大切にすること

親の供養をするということは結局のところ自分を大切にすることに繋がってくるのです。


情けは人のためならず・・、という諺の真意が伝わっていないと聞きます。
つまり、情けをかけることは、その人のためにならないから止めておけだと思っている人が結構いるようです。


この諺の意味は、言うまでもなく情けをかければ巡り巡って自分にも良いことがあるという感じなのです。


ところで、親の供養についてですが東京のNPO法人が親を亡くした子供たちのためにお墓を建立しました。


経済的な事情や親せきとのつながりが希薄なために、児童養護施設で暮らす子供たちがいます。
そんな子たちは親の遺骨を抱えたままというケースも多いのです。
中には、親の遺骨を引き取ってもやり場がないので、川に捨ててしまった子供もいます・・。


引き取った遺骨を施設の部屋に置いたままという子供が多いのですが、手を合わせるよりどころになるというよりも負担になっていることが多いでしょう。
何とかお墓に入れてあげたいというのが切なる希望だと思います。


そんな子供たちの意を汲んでNPO法人が寄付を募り、墓を建てました
墓石には、みんな一緒という思いを込めて「一如」と刻んだのです。
ここに入ることで遺骨にも安らぎを与えられ、親を亡くした子供たちにも親に向き合える場所が出来たことになります。


このお墓には、居住地や信仰宗派は問われません。
納骨にかかる費用は3万円です。


誰もが使える墓があれば本当に便利です。
また、心のよりどころが出来ることで前向きな生活も営めます。
思いを口に出さなくても親を弔えるお墓は必要なものです。


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このNPO法人の着想に敬意を払うとともに、キット情けは人のためならずも実現することでしょう!


こうした観点から四国八十八か所のお遍路の旅を考えてみますと、弘法大師様と同行二人とは言うものの、巡礼は自分探しの旅でもあるのです。
そして、その自分探しの中には自分のルーツを見つめ、親や先祖のことも浮かんでくるはずです。


お遍路の旅の中で親の供養や弔いをすることそのものが、結局は自分を大切にすることに繋がるのがよく分かることでしょう!


posted by yasuucare at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 四国八十八ヶ所 地図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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